決闘裁判復活か?自由の国アメリカと言われるワケ

今では、人間の罪を裁くのは「法」であるのが当たり前。
が、昔は違いました。

中世のヨーロッパでは、
人の罪を裁くのは「神」だったのです。

その頃は、「神は正しい者に勝利を授ける」という考え方が一般的だったんだそうですね。そもそもは、神を信奉して疑わない王族が国を仕切っていましたからでもあります。昔の人たちは今よりもっと信仰に厚かったですからねえ・・・それは日本でも同じだったと思います。

 

一応、裁判というものもあったようなんですが、
今のように憲法・刑法・民法・・・
なんてふうにしっかり細かく制定されていたわけではありませんでしたから、

証拠が不十分だったり審判に文句があったりすると、
決闘で決着をつけていたようです。

要するに結局は「力こそ正義」だったんですよね。

 

アニメ『純潔のマリア』でも、王政と宗教的価値観が支配する時代のおはなしでしたから、登場人物のひとりである傭兵のガルファという男が、浮気の審判を決闘で決めるよう命じられていた記憶があります。

 

この決闘文化、勝ったほうは無罪となり負けたほうは処刑されるという残酷なものだったそうですが、男性と女性が決闘する場合には女性は地形的に有利な条件が与えられたり、人間と犬が決闘する場合には人間に武器を与え、犬には避難用の穴を設けるなど、それなりに公平になるよう配慮されてたんだとか。

 

 

 

 

 

決闘裁判復活か?


 

そんな、現代では映画やアニメといった架空の世界でしか見る機会のない決闘裁判ですが・・・とうとうあの自由の国アメリカで、裁判の決着を決闘でつけるように申し出る弁護士が出てきました。

詐欺事件の案件でリチャード・ルースマンという弁護士が弁護を担当。
現行犯逮捕ということで被告の有罪は濃厚だったそうなんですが、
この弁護士、有能なのか何なのか、議論を二転三転重ね、結果として、
「裁判の決着を決闘でつけさせて」という内容の請願書(10ページにも及ぶ)を提出したんだそうです。

で、そんなことが通るものかと思ったんですが・・・
そこはさすが自由の国アメリカ。

 

どうやらアメリカ合衆国憲法では、「それが憲法に明記されていないものであっても、国民の諸権利を否定してはならない」ということが書かれているらしく、

今回の申し出も一考される可能性があるようです。

なにせ、ここで“国民が決闘によって勝敗を決める権利”を否定すれば、憲法の記述に反すると判断され訴えられかねないからです。

なんてこった。たびたびテレビでアメリカの面白い、飛びぬけた判決などを特集していることがありますが、ほんとに自由なんですね、アメリカという国は。

 

とはいえ、これでもし決闘裁判が復活すると、アメリカに住む現代人たちにとっては、たとえ犯罪とは無縁の善良な一般市民であっても、他人事ではなくなるんじゃないでしょうか・・・だって、自分が被害者になっても、決着を決闘でつけなければいけなくなる「かも」しれないんですから。

 

 

参考URL:裁判の決着を「決闘」でつけるようニューヨークの弁護士が裁判所に求める

【雑学】中世ヨーロッパでは「決闘」で裁判の結果を決めていた?

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